岡本まな監督によるセルフドキュメンタリー映画「ディスタンス」
カメラの撮影の仕方もパソコン操作の知識もゼロの状態から
ひたすら道なき道を突き進んだ岡本監督とそれを支えた浅井プロデューサーによる対談
「ディスタンス」その制作の裏側に迫る

—家族を撮ろうと思ったきっかけについて教えてください

岡本:色々あるのですが、一番大きなきっかけは父と兄の和解です。映画を撮る前ですが、父と兄が10年ぶりくらいに会う機会があったんです。

—10年ぶりに会うことになったきっかけというのは?

岡本:兄の友達のお父さんがきっかけを作ってくれて、3人でバーに行ったらしいんですけど、10年ぶりの対面で。その場に私は居なかったんですが、帰りに合流したお父さんがすごく嬉しそうで、スキップしたり飛び跳ねたりして、私のほっぺにチューをしてきたんです。私もそれが可笑しくて嬉しくて、気分が瞬く間に晴れて、今までずっと心にあったもやもやがなくなっていったのを覚えてます。

—その頃は東京と函館を行き来していたのですか?

岡本:その頃私は東京に暮らしていて、たまたま函館に帰っていた時だったんですけど、そのことをきっかけに家族内のテンションも上がってて、お兄ちゃんとお母さんと3人でスナックで飲んでる時に、ちょっと独特なママが50歳くらいでヌード写真を撮ったっていう話をしてくれて、その写真を見せてくれたんです。それがモノクロのとてもいい写真で、なぜか「お母さんも撮ればいいのに」から始まり、「家族みんなでヌード写真撮ったら面白いね」「うちら家族らしい良い写真が撮れるかもね」って盛り上がったんです。それもきっかけのひとつ。だから最初は映画っていう枠でもなくて家族みんなでヌード写真を撮りたいって、冗談みたいなこと真剣に思っていて、それがはじまりです。でわたしは結構そのことをマジメに考えていたんですけど、やっぱりなかなか流れちゃって。でも家族の映画は絶対撮りたい、って。

—それから具体的に制作に入るまでには、どんな経緯があったんですか?

岡本:気持ちは固まっていて、でも映画をどうやって撮ろうかと考えていた時期に、石井裕也監督がよくrojiに飲みにきていて、石井監督に映画を撮りたいっていう話をしていたんです。しかも私はiphoneで撮ろうと思っていて、そしたら石井監督が「iphoneはやめたほうがいいんじゃない」という事を言って、監督が昔ぴあで受賞した時に貰ったカメラをくれるっていう話になったんです。実際そのカメラを貰ったんですけど、テープだったから、やっぱり処理とか色々時間かかるなっていう事になって、結局自分でカメラは買いました。(笑)でもそのカメラを譲り受けたのはすごく大きな事で、背中を押されたというか。石井監督は「買い替えるってまなちゃんらしいね」って笑っていましたけど。
それから、それもrojiというバーで私がバイトしている時に、たまたま浅ちゃん(浅井一仁。映像監督。本作のプロデューサー)がお客さんで来ていて、店主のルミさんが紹介をしてくれたんです。「浅ちゃんこの子映画撮りたいって言っているんだけど色々教えてあげてよ」って。そしたら浅ちゃんが「いいですよ」って言ってくれて、それで家族の映画を撮りたいとか自分なりに考えていた内容を話したんです。
それで浅ちゃんに1からカメラの使い方やパソコンの使い方を教えてもらい「ディスタンス」制作がスタートしました。

浅井:カメラやパソコンを買って、まなちゃん的には切羽詰まっている時期だったのかな?そういう印象はあって、来週には地元に帰って撮影をはじめるって言っている頃でした。でもまなちゃんはカメラとかパソコンの操作とか何も分かってなくて・・データを間違って消さないようにする方法とか、撮った映像をパソコンに移行する方法とかバッグアップの取り方とか、そういう初歩的な事がほとんどでしたね(笑)

—じゃあ始めからプロデューサーとして浅井さんが存在しているというよりは、そういう事を教えてくれる人っていう存在ですかね

浅井:ほんとそうだとおもいます。ちょっとわからない事を気軽に相談できる人ってぐらいの感じでしたね。

岡本:それまでパソコンを使う事もほとんどなくて、古いパソコンはずっと閉じたままで…。

浅井:ファイルをつかむっていう概念もなかったよね。クリック、ダブルクリック、ドラッグとかほんとにそういうレベルの基礎を教えました。
それから最初の撮影で、まなちゃんが地元函館に帰るっていう数日前にテスト撮影とか色々やりました。東京にいるうちに、カメラの細かな設定とかどこまでオートするかマニュアルにするかとか、実際に撮影して違いを知ってもらったり、マイクを使った時と使わない時の違いとか。

岡本:そうだったね。特訓でした。私普段そういう脳を使う事がなかったし、パソコンの基礎を知らなすぎたから、かなり頭をフル回転させてがんばった記憶があります。

浅井:何となくだけど、まなちゃんのやりたい事は聞いていたから、すぐに使える技みたいな事とかを僕なりに教えました。なるべく被写体に近づいて撮りたいって言えば、僕が歩いて、まなちゃんがそれを撮る練習をするみたいな感じで。僕がカメラを回して、こういう方法もあると見せてあげたり、かなり密にやりましたね。

岡本:あれは、ほんとに特訓だったな・・・。

浅井:まなちゃんは映画をすごく沢山観ていて、映画「壊れゆく女」の、あのシーンみたいに撮りたいとか、いくつかそういう映画を参考にしたイメージがあったり、それこそ踊る映画を作りたいっていうのは最初からまなちゃんの中にあったよね。登場人物が踊りだすような映画を撮りたいって言っていたのを、すごく覚えている。

岡本:そう、映画の中の踊るシーンが昔からすごく好きで、言葉とかじゃなくて、ただ踊っているだけで切なくなったり、伝わるというか。ミュージカルも好きだけどまた違った踊り。ゴダールの「はなればなれに」とか、「バッファロー’66」 のクリスティーナ・リッチがボーリング場でムーンチャイルドがかかって踊るシーンとか、「花とアリス」で蒼井優が踊るシーンも感動的で。いろんな映画の踊るシーンに影響されていると思う。

浅井:今回の映画の中でも踊るシーンがすごく印象的だと思うよ。

岡本:どっかに踊りは入れたいっていうのはあって、でもどうやって?っていう思いがあったから、音楽とか撮影中意識的に流しているところはあったかもしれない。でもあんな風に、お母さんが自分の中に入り込んで踊る姿をみせてくれることは想像していなかったかな。昔からたまに自分に入り込んで夢中で踊っているお母さんは見た事があったんだけど。
カメラを時々受け入れ始めていた時期ではあって、すごくいいタイミングだったなって思います。なんか心地良かったんでしょうね。(笑)

—撮影のために何度くらい函館に帰省したんですか?

岡本:4回かな?

—編集は撮影が全て終わってはじめたんですか?

浅井:1回目撮影して東京に戻ってきてからすぐに編集に入ってますね。基礎的なことを少しずつ僕がまなちゃんに教えて、宿題みたいにまなちゃんが持ち帰って自分で色々と試してみて、それをまた見せてもらって、色々アドバイスしてっていう日々を繰り返しました。

—この作品では、監督 岡本まな/プロデューサー 浅井一仁となってますが、その辺りからそいう意識があったんですか?

岡本:どうだったかな?なにかそういう話をしたわけじゃないけど、その形はしっかりと出来ていました。

浅井:関係が出来た上でそれに肩書きがついていったっていう感じで、一般的な名前をつけたっていうだけですね。ドキュメンタリーというか特にこの「ディスタンス」という作品は、はっきりしたゴールが無く、監督自身が手探りでやっていたのを隣で見ていたから、編集に入ってからは特に、はっきりとこうしたほうがいいと言い切れることも少なくて、アドバイスというより、僕の意見をその都度伝えるみたいな感じでした。

岡本:ドキュメンタリーなんだけど、どっかで映画にしたいっていう思いがあって、私自身そこまでドキュメンタリー作品を観て知っているわけでもないから、映画特有の現実と非現実な部分とかをごっちゃにしたいっていう気持ちはありました。それを浅ちゃんには相談していましたね。どうしたらそういう風になるかなって。意図して何か演出をするという事はしないけど、イメージしているものはあって、その抽象的なものにどうやって作品を導いていくかというのは、撮影を重ねて編集している中で、二人で話をしました。

浅井:僕の印象ですが、2回目の撮影までは正直かなり漠然としていて・・。監督自身、模索しながら撮っていたし、家族に踏み込んでいけないジレンマみたいなものを、言葉で相談されたわけじゃないけど、撮影から戻ってきてみせてもらった素材から、感じ取っていました。

岡本:とにかく、なかなか深いところにつっこんでいけないというか。最初はお父さんがおちゃらけているところばかり撮ってましたね。

浅井:最初はほんとうに探っていて、お母さんが全然撮れていなくて。最初はお母さんは撮影NGみたいな雰囲気もあって、お父さんとおばあちゃんの素材ばかりで。

岡本:カメラ向けても特に気にしない2人だったからね。

浅井:どうなるんだろうって正直思ってました。ただただ、おちゃらけているお父さんと、お茶飲んでるおばあちゃんの映像で、何も確信めいたものはなく・・・。まぁ、それはそれで面白かったんだけど、さすがにお母さんは撮らないと、みたいな事は監督に伝えたり、お兄ちゃんももっと撮ったほうがいいねとか。

岡本:私はちょっと怖じ気づいていたところがあって、お母さんにカメラ向けても隠れちゃうし、かなり様子を伺いながら。でも、慣れてきたっていうのもあると思うんだけど、ある時から急にカメラを受け入れてくれて。私自身もっと勇気をもって家族に踏み込んでいかなくちゃって気持ちでした。お母さんには特にそれを思ってカメラを向けていました。

—2回目、3回目くらいで何となく形は見えてきたんですか?

浅井:そうだね。2回目あたりでガゴメマン(編注:函館名物ガゴメ昆布のゆるキャラ。お兄さんはガゴメマンの中の人である)とかが入ってきたのかな?あとスナックでカラオケしているところとか、お兄ちゃんと奥さんとお父さんで食事しているところとかね。だんだん人間模様が見えて来たのが2回目の撮影に行ったあたりからですかね。僕自身、まなちゃんの家族のことは全然知らなかったので、それぞれの関係性が客観的にみえてきて、広がって来た感じがしました。お母さんも2回目くらいからすごく良くなってきて。

岡本:お母さんは昔から画になるというか、儚い感じがあって、それがお母さんの最大の魅力の一つで。母親らしくないところでもあるんですけど、父親がお母さんのことをよく、「直子は芸術家なんだ。だからガラスのハートすぎたんだ。」って言ってましたね。対照的ですよね、お父さんのおちゃらけ具合と、お母さんの陰があるような感じが。

浅井:2回目と3回目はちょっと間が空くんだよね。3回目はもう秋になっていて、ちょうど春夏秋冬になっているね、全体を通すと。お母さんが踊るシーンとかおばあちゃんがお兄ちゃんの作ったオブジェの話をするところとか、ゾクっとするようなのが後半どんどん撮れて行った感じはあるね。

岡本:3回目の撮影でグっと色んなことが繋がって行くというか、自分でも驚いてしまうような事が色々ありました。

ー基本的に作品としては時系列になっているんですよね?

岡本:一部ごちゃ混ぜだけど、なるべく時系列にはしているかな。例えばおばあちゃんのオブジェの話をするところは、お兄ちゃんがその話をする前だから、撮影している時は全然なんのことか分かっていなかったです。だから反応薄いんですよね(笑)その後お兄ちゃんの話を聞いているところで、怪物みたいのがいたんだという話をしていたから、そこは意図的じゃなく繋がりましたね。おばあちゃんは後にも先にもあの怪獣のオブジェに触れることは一切なくて。まさに奇跡ですね。

浅井:3回目の素材をまなちゃんが編集したものを観た時に、いろんな素材というか出来事が入って来て、急に形が見えてきたというか、荒いスケッチみたいなものだったのに、これはやばいなってゾクゾクしたというか、ちょっと感動しましたね。まなちゃん的には一気に素材が集まってきてどんな気持ちでいたの?

岡本:自分の中で理想としていたものには少し近づいたなとは思いました。でも、それだってかなり探り探りだったから、なんとか最後は「名言を言おうとしない」に繋げたいという気持ちはあったけど、どうなるんだろうっていう不安はありましたね。リアルタイムでどんどん近づいていった感じ。
あと、撮られているほうもちょっと協力的になってきたというか、本人たちは無自覚だったと思いますけど、どっかで映画を通してまとまりが出来てきたという部分もあったのかな。

浅井:その辺は深い話だよね。撮られることによって、家族関係自体が結果的に変わっていく。あと、まなちゃんが映画の撮影を始めて、しょっちゅう顔出すようになったっていうのも大きいと思う。東京に来てから一年で3回も4回も地元に帰って家族に顔を見せることもなかったでしょう?

岡本:そうですね。夏と冬に帰って年2回。まあ、それぐらい。それに帰っても家族と会うって感じでもなかったです。友達と遊んだり、お父さんなんてほとんど会ってないし。

浅井:それが撮影がはじまってしょっちゅう顔を出すようになって、単純に嬉しいよね。

岡本:撮影中は、函館に帰ってもほとんど家族としか会ってない。

浅井:大きな事件みたいな出来事は起きないんだけど、少しずつ家族の変化がみえてすごくおもしろいなと思って観ていました。
後出しみたいであれだけど、周りにも「これはやばい。すごいかも知れない」みたいな事は言っていたんです。3回目の編集したものをみて鳥肌立ったんです。

ーこの辺から、プロデューサー浅井が目覚めるんですね

浅井:もちろんはじめから真剣に僕が教えられることは教えようっていう気持ちはあったんです。まなちゃんが真剣に作品に向き合っていることは知っていたし。あと、まなちゃんが可愛いから、スケベ心じゃないけど、下心もありましたね(笑)

—まあ可愛い女の子からの頼みだし、

浅井:そうです。最初はまなちゃんかわいいなーって思いながら関わってました(笑)。仲良くなりたいなとか思いつつ。

岡本:(苦笑)

浅井:でも3回目の編集したものを観て、こんな浮ついた気持ちじゃヤバいぞって思いましたね。

岡本:そうだったんですね。全然わからなかった(笑)でも、いろんな人に途中段階で観てもらったりして意見をもらったりしているんだけど、浅ちゃんはその感じとは違って、一緒に作っている感覚でした。

浅井:撮ることによって家族が変わっていく、そういうドキュメンタリーに大切な部分を、僕はちゃんとは理解できていなかったかもしれないです。そこを、まなちゃんが潜在的に、感覚的に、とても丁寧にやっていたのが、作品にとってすごく大きいです。

岡本:あと、撮影をはじめたその時期は、私生活で私自身すごく深刻になってたから、実はそれの影響も大きいのかもしれない。結構暗くて・・

—それは函館の家族のことではなくて、まなちゃん自身が東京で暮らしてく上で起きた色んな出来事ということですか?

岡本:うん。いろいろあって・・この作品に集中することが自分のよりどころというか。その気持ちで自分を支えていました。

浅井:それはすごくいい方向に出ていると思います。「やってるやるぞ」感はすごくあった。

—山形国際ドキュメンタリー映画祭へのエントリーはある程度形がみえて、それから決めたんですか?

浅井:山形へのエントリーというのは最初からあったよね?

岡本:それは浅ちゃんが言ってくれたんです。せっかく撮るなら、なんか目標決めたほうがいいって。一応目標として、エントリーの締め切り目指して、撮影も編集も終わらせようと決めていました。

一映画の中でも重要な役割を果たしている音楽ですが、ランタンパレードの「名言を言おうとしない」はどういう経緯で?

岡本:ランタンパレードさんの他の曲は聞いていたんですが、「名言を言おうとしない」は、rojiでのバイト終わりにひとりで片付けをしている時に、初めて聞いたんです。もう衝撃で。鳥肌立って。その日何度もリピートして聞いていました。

—それで直接お願いしに行ったんですよね?

岡本:ライブに行って、その時に声をかけてお願いしたんです。
それでOKをいただいて。1回目の撮影の後とかだったのかな?

浅井:結構早い時期にはOKをもらっていて、それを最初のうちに決めれたというのは大きいよね。まなちゃんが、これだ!って思った曲を実際に使えるというのは大きい。その音楽があるってだけで力強い

—ランタンパレードの楽曲もそうだし、特に後半は音楽が大きな役割を果たしてますよね

岡本:お父さんが音楽好きで、自作のmixCDとかくれたりして。あの劇中で流れる映像も前にも見せられたことがあるものです。今もお父さんの家行けば必ずレコードを流して、お父さんDJがはじまる(笑)。

—映画の中で監督自身が映っているシーンもとても印象的でした。冬の海辺のシーンとか

岡本:やっぱ踊るシーンは入れたかったから。あと雪の映像は入れたかった。

浅井:まなちゃんが自分を映すところ、最初の頃は抵抗があって迷っていましたね。でもやっぱり撮りたいっていって撮影していたのを覚えてます。

岡本:あの海のシーンは過酷でした。カメラも何回か風に飛ばされて雪に埋もれたりして、その度にカメラを探して。。よく壊れなかったな。。あの撮影をしている場所の後ろに家があって、おじいさんが心配そうに何度も覗いていました。

—そりゃそうだよね。吹雪のなか海辺で女の子がくるくるしてたら心配になりますね。

岡本:手も凍傷みたいになりかけてて、見かねたおじさんに大丈夫かって聞かれました(笑)

浅井:もうあれは踊るつもりで海にいったの?

岡本:最初から雪の中で踊りたい、踊るって決心して行きました。帰りが大変だった、ホワイトアウトにあって、ほんとうに前が見えなくて・・。あの日は冬の中でもかなり吹雪の日で、帰りもタクシーはどこも走ってないし、電車通りまで出ることも出来なくて、自分がどこにいるのかすらわからなくなってきつかったですね。遭難しかけました。

浅井:ポスターになっているアップの映像も同じ日だよね?

岡本:くるくる踊った後に、雪に寝そべったんですよ。

—それも4回目だから、4回目の撮影では色々とあれをやってみよう、これもやってみようという方向だったんですか?

岡本:もう入り込んでいて、自分の影響受けた作品のいろんなシーンを思い浮かべたりもしながら、撮影してました。

—あのテーブルの上でタップダンス踊っているのも4回目ですか?

岡本:そうですね。さっき話していた海辺のシーンのを撮った後におばあちゃんの家になんとかたどりついて、テーブルの上で踊ったんです。

—もうその日は踊ろうと決めてたんですね

岡本:死の危険を感じたからなのか、ノッてたんです。ノリノリで。それにテーブルの上で踊るなんて、なんかこうイケナイことしてる感があるじゃないですか。そうゆう勢いもあって。

浅井:家族を撮って最後には自分に向かっていったみたいなの気持ちがあったのかもしれないね。

岡本:うん。4回目は自分にぶつかっていきましたね。自分の中で溜めていた人にはみせられない部分。孤独な部分とゆうか。いろんな映画の好きなシーンを浮かべながら入り込んで、自分の葛藤というか今までの家族含め自分自身の葛藤みたいなのを、表現したかったのかな。

浅井:途中まではほんとうに迷ってたもんね。すごく覚えてるけどやっぱ自分が自分自身を撮るのはちょっとって。僕は撮ったほうがいいって言ってたけど。

岡本:やっぱなんだか自分を撮ることには抵抗がありました。でも途中でやってみても良いかも、と。

—過去のビデオもその辺で?

岡本:過去のビデオは昔からよく見てたんです。はじめからあの映像は使いたいと思っていた。

浅井:取り込んだのは結構後のほうだよね?全部一気にやってたもんね。
あれも面白いなって思ったのは、普通はやっぱり素材をパソコンで読み込めるデータに変換しようとするんだけど、まなちゃんは直にテレビを撮影。
ラストで、まなちゃんが自分の部屋で8ミリビデオを再生したテレビを撮影している全貌が分るけど、全編あの手法で撮ってる。

岡本:雑ですよね、、(笑)

浅井:そこに関してはデータにするっていう概念がなかったんだよね。

—映せば撮れると

浅井:まなちゃんの中で、僕に相談するほどのことでもなく、普通にテレビを撮ればいいと思ってたんだよね。最後、テレビがある部屋を引いた画、あれも、最後撮り終わって「ハイ終わり!」って引いただけ。
そしたらまたズームになったみたいな。

岡本:そう、またズームになっちゃって(笑)

浅井:まなちゃんの撮影終了の時の映像。でもあれがすごく僕は好きなカットです。

岡本:ほんとは綺麗に終わりたくて、あれを入れる予定じゃなくて。

浅井:僕がたまたま素材をピーって伸ばしたら、あ!なんかよさそうってなって。

岡本:あの時は二人でうおー!みたいになりましたよね。これだ!って言いながら二人でハイタッチしたの覚えてます。

—浅井プロデューサーの下心からはじまり、最後には同士のようなハイタッチ、良い話ですね。

浅井:そうですね。途中からまなちゃんはもちろん、この家族のファンになってたかもしれないです。映画がどうっていうよりは、単純にエモい家族だなと。素材を見てもそうだし、撮影から戻って来てまなちゃんが話す家族のエピソードとか、人間らしい人たちだなと思いました。

岡本:ほんと人間らしい人たちです。

浅井:そういう部分が素敵だなって僕は思っちゃったんですね。まなちゃん的にはいろいろ、悩ましいこともあるけど、僕からみると一人一人のキャラクターがおもしろいし、素敵な人たちだなって。2回目の撮影あたりから思ってました。僕は能天気なほうだから、あんまり深い人間の感情が理解できない部分もあるんだけど、「ディスタンス」に描かれた愛には心を動かされました。

岡本:お兄ちゃんも映画の中で愛について語っていたけど、わたしも愛ってものについて考えてた時期があって。家族のこともそうだし、恋愛でも。この作品を撮ってみて、やっぱり愛だなって、自分の中でも確信的になった。上京してから年に1回か2回帰るぐらいで、大人になってからこんなに長い時間家族と一緒に居る事がなかったんだけど、結構居心地がよかった。気恥ずかしさみたいなのは、特にお父さんにはあったりして、それでもやっぱり心地よかった。

—撮影と編集が終わって山形へ作品を送り、それで函館に帰ったんですね。

岡本:それはじっくり決めたっていうよりは、いろいろあって急遽帰ることになったんです。家族には色々お世話になったな。映画を撮り終わって以来、家族団欒も多くなって、ほんとうに距離が縮まった。でも映画をみて、やっぱりお父さんはショックを受けたらしいです。お兄ちゃんも冷静にカメラの前で自分の過去の気持ちを話しているから。でも今はもうプラスに考えてますね。これから幸せになっていこうな、って泣きながらそういう話もしました、お父さんと。
最初は自分の家族の道のりみたいのをただ撮りたいだけだったのが、撮ってるなかで段々と映画として成立されて多くの人に観てもらいたいと思うようになりました。

浅井:それはとても表現出来ていると思う。超個人的なのに誰しも自分の家族を心に浮かべてしまうような、そんな普遍的な家族の映画になっていると思います。

岡本:観ている人の心の奥にある、大切な思い出を呼び起こせられたら、そして、ひとつの家族のあり方として、長い人生、いい時も辛い時もあって、そして楽しい事もあるんだなぁと。観て頂けたらとても嬉しいです。